泉田の町名由来
◆泉田村(現:泉田)
岡山城下町南方の平坦地。御野郡に属し、東は青江村と福田村、南は当新田村、西は万倍村、北は新保村と接していた。寛永五年(1628)の開墾による新田の村で、貞享年間(1684〜87)に本村となった。地名の由来は湿地帯で泉が湧き出ていたためであろうといわれる。『備陽記』には、岡山二日市町口まで28町、村高958石4斗9升、田畑55町2反7畝、家数51軒、人口344人とある。
文化年間(1804〜1818)の記録には、田高943石余、畑高20石余・家数77、人数315、牛32、樋・分木9、橋33、肥取船10となっています
明治17年(1884)の家数は67軒、男135人・女130人、計265人、明治19年の自作農は10軒、自作兼業2軒、小作専業42軒、小作兼業4軒であった。村の氏神は新田開拓以来のご神体を祭る新保の天満宮(沖の天満宮)である。
明治22年、泉田・万倍・西市・米倉・当新田・新保・富田の7ヵ村が合併して芳田村をつくり、大字泉田となったが、昭和27年、岡山市へ編入された。現在は地区内を県道州崎米倉線が東西に、国道30号線が南北に走って斜めに交差し、この道路沿いに市街化が急速に進んだ。同26年には、岡山臨港鉄道泉田駅が新設されたが、同鉄道もモータリゼーションの影響を受けて同59年に廃止された。鉄道跡地は住宅用地、道路公園などの計画が考えられている。芳田小学校、芳田郵便局、青江公園がある。
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